自由研究のテーマが決まらない…元教員が教える「立派なテーマを探さない」という王道の解決法

熱海康太
2026.07.19 18:21 2026.07.19 19:00

虫眼鏡で観察する男の子たち

元公立学校教員として多くの子どもたちと向き合い、現在は一般社団法人日本未来教育研究機構代表理事を務める熱海康太氏は、「『何でもいい』は無関心ではなく、単に入口が見つかっていないだけであることが多い」と語ります。

夏休み10日目、自由研究のテーマが決まらず「何でもいい」と言った小5の息子と、母親が始めたのは「くだらないと思っても書き出す」という時間でした。(写真はすべてイメージです)

「何でもいい」の裏にあるもの

夏休みが始まって10日が経った朝、小学5年生のハルキ(仮名)は宿題のリストを眺めながら「自由研究だけが全然終わらない」とぼやいていました。母親の恵さん(仮名)が「何かやりたいことないの?」と聞くと、「ない。何でもいい」と言いました。

「何でもいい」という言葉はやる気がないように聞こえますが、実はそうとは限りません。「何でもよさそうに見えて、でも何もピンとこない」という状態は、好奇心そのものが失われているのではなく、単に入口が見つかっていないだけであることが、実はとても多いのです。

立派なテーマを探そうとしなくていい

自由研究のテーマが決まらないとき、親も子どもも陥りやすいのが「立派なテーマを探そう」という方向に向かってしまうことです。科学的に意義がありそうなもの、先生に褒められそうなもの、みんなとかぶらなさそうなもの。そうしたフィルターをかけてしまった瞬間に、子どものごく自然な好奇心は「それは自由研究っぽくないかも」として、自分の中で弾かれてしまいます。

探究学習の考え方においては、テーマの立派さよりも、子ども自身が「これは自分の問いだ」と思えているかどうかが、学びの質を大きく左右するとされています。学校で導入が進んでいる探究的な学習の枠組みでも、出発点として重視されているのは「その子自身の内側から出てきた問い」であり、大人が用意した立派な課題ではありません。

テーマの見つけ方には、いくつかの道筋がある

テーマが決まらないとき、まず試してみるとよいのが「最近の一週間を振り返ってみる」という方法です。「なんでだろう」と思ったこと、

熱海康太

熱海康太

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大学卒業後、神奈川県の公立学校で教鞭を取る。 教育実践において厚木市教育委員会から表彰を受けるなど活躍。しかし、勘と根性に任せた指導法に限界を感じ、国立大学付属小学校で多くの教育論や教育実践を学ぶ。 学びを体系化することで、学級や学校は安定し、『先生の先生』を行うことも増えた。その後、教員や保護者、子どもたちのための本を執筆するようになる。 常に先端の教育理論や教育実践を研究している。