「学校に行けないのは親のせい?」不登校・行き渋りで悩む親が知りたい子どもとの距離感

植木希恵
2026.08.10 15:45 2026.09.02 11:50

玄関で登校を渋る小学生の男の子のイメージ

子どもが「学校に行きたくない」と言ったり、不登校や行き渋りになったりすると、「育て方が悪かったのでは」「何とかして学校に戻さなければ」と自分を責めてしまう親は少なくありません。しかし、子どもの問題をすべて親が背負う必要はありません。大切なのは、子どもの困りごとと親自身の不安を分けて考えること。親子それぞれの心を守る「バウンダリー(自他境界ライン)」と、子どもへの適切な関わり方を解説します。

※本稿は、植木希恵 (著)『不登校・行き渋り…タイプ別でわかる 「学校に行きたくない」と言われたときの親のかかわり方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より一部抜粋、編集したものです。

なぜ親は、子どもの不登校・行き渋りで悩むのか?

子どもが学校に行けないと親が不安になる理由
子どもが「学校に行きたくない」と言ったり、行き渋ったり、学校でトラブルを起こしたりしたとき、みなさんはどうしますか?
学校に行けない原因やトラブルになる原因を探ろうとしたり、なんとかして学校に問題なく行けるようにならないかと模索したりするかもしれません。
学校は1つの「社会」であり、将来自立して生きるための準備をする場でもあります。
そのため、学校にうまくなじめないわが子を見ると、親のほうがなんとなく将来を想像して不安になり、「学校に行ってほしい」と願うようになるのです。

ここでいう「社会」には2つの意味があります。
1つは、「自分以外の人々とのかかわり」という意味です。自分の外はすべて社会。人が2人以上集まっている場は「社会」なので、家族のいる家庭も1つの社会ですし、友だちとのかかわりも社会です。学校は、先生も同級生も下級生も上級生もいるので、さらに大きな「社会」になります。
もう1つは、「社会人」という言葉に象徴されるように、経済活動をする場としての「社会」です。自立して、1人の人間として生きる場ともいえるかもしれません。

人は成長するにつれて、「家庭→保育園・幼稚園→学校→自立して経済活動をする場」とかかわる場が増え、かかわる人の種類、人数がだんだん増えていきます。それに伴って、その子自身が得られる手助けは減っていきます。
小学校入学前に、家庭で家族との関係のつくり方やルールを守る練習をします。たとえばあいさつをしたり、トイレトレーニングをしたりしますね。これは子どもにとって、学校という少し複雑でルールがはっきりした場になじむための練習です。
友だちと遊んだり、保護者と一緒に出かけたりすることも、学校のルールを理解したり、慣れたりするための練習となるでしょう。ここでは子どもたちがうまくできるように、保護者が助けてくれます。
同様に学校では、時間を守ったり、みんなと同じ行動をしたりと、大人になって経済活動を行うための準備と練習がはじまります。学校は本番ではなくて、練習の場なのです。
それを助けるのが先生です。

私たち大人は、人は社会に出て人とうまくかかわっていかないと生きられないこと、お金を稼いで自活することができないこと、つまり経済的に自立できなくなってしまうことを知っています。
現代は働き方が多様化し、人に会わなくてもできる仕事も存在します。しかし、人とかかわることなく生きていくのは難しいですし、人に会わずに仕事できるほどのスキルや才能がある人はそうそういません。社会から重宝される突出した才能がなかったら、社会に出て人とかかわりながら生きていくのが一般的なルートになります。

ところが、目の前のわが子を見ていると、社会に出る前段階となる学校生活でつまずいている。このままだと、大人になって社会に出たときにうまくやっていける気がしない…。
ここに、保護者のみなさんが不安になる要素が隠れている気がします。「社会」に出る手前の「学校」でつまずいてしまったら、そこから先には進めないのではないか、そう考えるから不安になるのではないでしょうか。

困っているのは誰なのか?

座り込み落ち込む小学生らしき子

子どもが不登校や行き渋りの状態になると、保護者のみなさんは自分の子育てを疑います。私の育て方が悪かったのかな。愛情が足りなかったのかな。もっと子どもの話を聞くべきだったのかな。もっとああしていたら、こうしていたら…。
子育てをしている保護者にとって、子どもが不登校になったり、行き渋りをしたりすると、本当に心配になりますよね。

ただ、だからといって、なぜ学校に行きたくないのか、学校で何か問題があったのかと子どもを質問攻めにすると、子どもはうまく答えられなかったり、保護者の期待する答えが出せなかったりして投げやりになります。
そうすると、保護者のみなさんは「心配だから」「とにかく気になる」「少しでも何かできることはないか」という思いで先回りし、さらに子どもに言葉での説明を求め、心の内をさらけ出すよう促します。そうすると、ますます子どもに嫌がられます。

ここで、少し立ち止まって考えてみてください。
子どもが学校に行けないことを、「誰が」問題だと見なしているのでしょうか?

システムズアプローチという心理面接の手法では、不登校における子どもの立場にある人をIP(Identified Person:問題があるとされた人)と呼びます。Identified というのは「そう見なされた」ということで、つまり、問題は子ども自身がつくり出しているのではなく、「ほかの誰かが、子どもに問題があると見なしている」と考えるのです。

もちろん、本人が困っていることもあります。その場合は子ども自身が自分を変えたいと思っているので、話を進めやすいです。しかし、保護者が子どものことを過度に心配している場合、まず「困っているのは誰なのか」の整理からはじめる必要があります。「それは誰の考えなのか」「誰がどのように困っているのか」「誰が変化を望んでいるのか」を言葉にして確認し合います。
たとえば、私がカウンセリングの場で保護者の方から「学校に行けたほうがいいですよね?」と聞かれたときには、「お子さんはどう考えていますか? どうしたいと言っていますか?」と返答しています。

子どもを自分の延長のように捉えていませんか?

子どもの不登校・行き渋りがストレスとなって、親自身がぐらぐらと揺らいでしまうのは、本当によくあることです。
まず気づいていただきたいのは、保護者である自分自身に「学校に行ってほしい」という気持ちがあり、子どもを学校に行く方向にコントロールしたいという欲求があるということです。

多くの保護者のみなさんはここで、自分の思い込みや価値観に気づくこともあるでしょう。子どもに対して「学校に行ってほしい」「学校は行くものだ」という期待があり、学校というコミュニティにうまく適応できていないわが子をまるで自分の延長のように考えているので、つらさを感じてしまうのです。
子どもが学校に行くか、行かないかを、親である自分自身が社会に適応しているのか、不適応なのかの評価として無意識のうちに捉えていることもあります。子どもの成長具合が、社会における自分の評価として、テストの点数のようにフィードバックされるような感覚に近いでしょうか。
不登校に限らず、子どもができるとかできないとか、子どもの状態を見て自分に合格や不合格を出してしまいそうになる。これは私自身も身に覚えがあるので、常に気をつけようとっていることです。

このように、子どもを自分の延長と捉えてしまいがちな保護者のみなさんに知っていただきたいのが、本書でお伝えする「バウンダリー(自他境界ライン)」という概念です。

植木希恵

植木希恵

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20年以上、不登校・発達障害の子どもたちとその家族にかかわる。カウンセラー・心理スタッフとして勤務したフリースクール併設のカウンセリングルームで、多くの不登校の子どもたちにソーシャルスキルトレーニングや心理カウンセリング、進路相談を行う。その後、中学校で講師として勤務した際に不登校や発達障害の子どもと接する機会が増えたため、2014年、広島市にて「不登校・発達障害傾向の子どものための個別指導塾 きらぼし学舎」を開業。

不登校・行き渋り…タイプ別でわかる 「学校に行きたくない」と言われたときの親のかかわり方の画像1

植木希恵(著)『不登校・行き渋り…タイプ別でわかる 「学校に行きたくない」と言われたときの親のかかわり方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

本当にその子に合った、不登校・行き渋りへの向き合い方がみつかる。
――予約の取れない「不登校・発達障害個別指導教師」が教える、親子がラクになる「こころの距離感」のつくり方。