令和は子ども1人に大人7人の時代 「期待が集中する子育て」は子どもをどう追い詰める?
令和の子どもたちは、かつてないほど多くの大人の目に囲まれて育っています。親だけでなく祖父母、学校、塾や習い事の先生まで含めれば、子ども1人に対して約7人の大人が関わる時代です。
それは一見すると、手厚いサポートのようにも見えます。しかし実際には、子どもへの「期待」や「関心」が過剰に集中し、知らず知らずのうちに大きなプレッシャーとなっている可能性もあります。
期待が集中する子育てが子どもにもたらす影響について東大生作家の西岡壱誠さんの著書より考えます。
※本稿は、西岡壱誠 (著) 『怒りすぎたあとからでも始められる子どもの地頭が育つ後悔しない子育て』(総合法令出版)より一部抜粋、編集したものです。
過保護を超える「過干渉」
今、私たちは子育てや教育の場で、ある「落とし穴」にはまり込んでいます。
それが、過保護を通り越した過干渉です。
かつて過保護とは、親の甘やかしすぎを指す言葉でした。
門限を厳しくしたり、転ばぬように親が先回りしたり、宿題の結果を親が気にしす
ぎたりといった育て方を、批判的なニュアンスで過保護と言っていました。
しかし、今の子育て環境における過干渉は、個人レベルの話にとどまりません。
1人の子どもに対して、7人の大人
現代の日本は、急激な少子高齢化の波にのまれています。
少子高齢化と聞くと、多くの人は「子どもが少なくなっている」と考えますが、実はもう一つの大きな変化があります。それは、「大人の数がどんどん増えている」側面です。
1965年の日本の人口統計では、15歳未満の子どもが約2500万人だったのに対し、15歳以上の大人は約7000万人。つまり、子ども1人に対して約3人の大人がいた計算になります。一方、2020年代のデータでは、子どもは約1500万人、大人は1億1000万人。これは子ども1人に対して約7人の大人がいることになります。
この「1対7」の構造が、なにを生み出すのでしょうか。
1対7の数字は、大人が子どもをサポートする手厚さではなく、執拗なまなざしになっていることを表しています。子どもに向けられる大人の関心・監視・期待が、必要以上に多すぎる状態であり、子どもが過剰に注目される状態にあるのです。
大人が増えることは、それだけ子どもが特別視されやすくなります。
かつての大家族のように多くの兄弟姉妹がいる家庭であれば、進路の選択にしても親がそこまで細かく介入することは少なかったでしょう。親が一人ひとりの子どもに多くの時間やエネルギーを割く余裕がなく、自然と「子ども自身に任せる」姿勢が生まれていたからです。同様に、祖父母の立場からしても、十人程度の孫がいれば一人の子どもに執着することなく、適度な距離感で見守っていたかもしれません。
ですが、今は違います。
一人っ子となれば、親はどうしても子どもの進路が気になってしまいます。祖父母にとっても、たった一人の孫となれば、かわいさゆえに、「将来、どうなりたいの?」「どこの大学に行くの?」「どんな就職をするの?」と、つい声をかけてしまう。大切な子ども、孫だからこそ、期待や関心が集中してしまうのです。
その期待が、子どもにとっては無言のプレッシャーになっていきます。
さらにいえば、塾や予備校の費用を祖父母が出している家庭も珍しくありません。
経済的に「投資」しているため、「成果」を求めやすくなります。そんな空気感も子どもには伝わってしまいます。今の子どもは、親だけでなく祖父母までもが進路や勉強に関心を寄せ、塾や習い事の先生までもが目標を設定してきます。三世代+αの包囲網のなかで育っているのです。
もちろん、大人が子どもを思う気持ちは本物ですし、悪いことではありません。
その思いやりが強くなりすぎることが問題なのです。
過度に監視されるなかでは、子どもが自分で考えたり、自分自身の声を聴いたりする余白がなくなっていきます。周囲の大人たちの善意や期待が重くなりすぎると、「自分がなにをしたいのか」ではなく、「大人たちが望んでいることはなにか」に意識が向いてしまいます。
その結果、子どもは期待される像を演じることに必死になり、本来の好奇心や探究心は置き去りにされてしまうのです。
【Think!】「見守ること」と「見張ること」は違う
西岡 壱誠 (著) 『怒りすぎたあとからでも始められる子どもの地頭が育つ後悔しない子育て』(総合法令出版)
子どもの個性や可能性、自己肯定感を奪わないために親にできること
もう、怒ったあとに落ち込まない
親子で地頭がよくなる子育ての思考法
「叱らない」「ほったらかす」「褒める」……子育ての正攻法に悩むすべての親へ。
罪悪感を抱いたら、この本を開いてみてください。
