私だったらこうするのに…モヤる親が見落とす「子どもは他人」という視点

「どうしてこの子はこうなんだろう?」「自分だったらこうするのに」と、我が子にモヤモヤした経験はありませんか? 親子であっても、「わかり合えない」と感じる場面は意外と多いもの。実はそのもどかしさは、子どもを無意識に「自分の分身」のように考えてしまうことが原因かもしれません。
本稿では、小学校教諭・沼田晶弘先生が説く「子どもとのちょうどいい距離感」について、著書より抜粋してご紹介します。
※本稿は沼田晶弘 (著) Masaki (イラスト) 『子どものやる気を引き出す「ほめる」よりすごい方法39』(高橋書店)より一部抜粋、編集したものです。
子どもは他人だと思え
「子どもは自分とは別の人間」。このシンプルな事実を常に忘れないように注意。

パートナーを産んでしまったと考えよう
親というのはどうも、子どもを自分の分身のように考えてしまう側面があるようです。習い事などでも、つい親がやってきたものをやらせたり、自分が得意だったことは子どもも得意だろうと考えたりすることも。特に女性の場合、子どもが物理的に自分の中から出てくるため、そう考えてしまう傾向が強いようです。そのため、自分と子どもの性格が違っていたりすると、頭ではわかっていても「なんで?」と思ってしまう部分があるようです。さらに、母親からすると男の子はまったく未知の世界。突然動き回ったり、すぐに手が出たりすることが、感覚的にわからないかもしれません。
でも、これまでにも書いてきたとおり、子どもは親とはそもそも別の人間、つまり他人です。お母さんの感覚に合わせて言うなら、パートナーを産んでしまったと考えるとよいでしょう。パートナーであれば、ダメだなあと思う癖が直らなかったとしても、どうせ他人なのだからと諦めたり達観できたりするのではないでしょうか。子どもも、それと同じ感覚でいてちょうどよいということです。
子育てがしんどく感じたり、親子関係がこじれてしまったりすることの原因の一つは、親が子どもを自分と同一視してしまい、別の人格だと考えられないことにあるようです。それで無意識に自分の好みや趣味などを子どもに押しつけてしまうと、うまくいかなくなることもあります。
子どもからよく「お母さんは好き嫌いがない」という話を聞きますが、これにはカラクリがあります。じつは、お母さんは自分の嫌いなものは食卓に出さないので、嫌いなものがないように見えるのです。実際は親子でも食の好みは違うでしょう。子どもが食べないものがあってもそこまで責めることはできません。
ご自身のことを振り返ってみて、もしそんな傾向があると思ったら、子どもと少し距離を置き、ことあるごとに「他人である」ということを思い出すようにしてみてください。
親は後方支援要員であって一緒にやる資格はない

受験する子どもを応援しようと一緒に勉強する。そんな親御さんの話もよく聞きます。子どもが一人でがんばれないから、親も机に向かって連帯感を出すことでやる気を起こそうとしているのかもしれません。たしかに「親の背中を見て子は育つ」とは言いますが、同じことをする必要があるでしょうか。親はあくまで後方支援要員。おいしいご飯を作ったり、子どもが安心して勉強に打ち込める環境を整えたりすることが親の仕事です。
後方支援をするうえで大事なことは、まず子どもの意向を聞くことです。たとえば、サッカーがうまくなりたいと考えている子どもが「毎日走りたいけど一人で走るのはつらいから一緒に走って」と言ったなら、一緒に走ってあげるべきでしょう。でも、子どもが言わないうちから走らせたのでは、昭和のスポ根漫画になってしまいます。
もう一つ大事なことは、親はもうプレーヤーでなく、一緒にやる資格はない、ときちんと自覚することです。
ボクは学生時代にスポーツで選手の立場をやり、そのあと身を引いてコーチの立場になりました。そのため、この「資格がない」という感覚を身にしみて感じることができました。教えるという立場はもどかしい部分もあり、今でも運動会のリレーなどでは「自分が走ったほうが楽だ」と思うこともあります。一方で心の底から熱くなれる彼らをうらやましくも思うのです。その疎外感やさびしさといったら相当なものです。親にもそんな意味で、選手から引退したコーチのような側面があるのだと思います。
さびしいかもしれませんが主役は子ども。親は子どもが思い切り打ち込める環境を整え、そっと見守るコーチ役に徹しましょう。
先生も親も名ジョッキーであれ
教師になる前に、塾の講師をしていたことがあります。1年目のときは「ボクのもっているすべてを教えてやろう」と意気込み、教えていました。でも、のどはかれ、声帯ポリープまでできたというのに、子どもたちの成績は全然伸びず、悩んでいました。
そんな頃、たまたま競馬を見ていたとき、名馬オグリキャップに乗って優勝した武豊の言葉が強く心に残りました。それは、混雑を避けて外側に行こうとしたものの、オグリキャップが自ら一番内側に行ってしまった。でも、馬群を縫って出てきたので、「僕はもう跨っているだけでした」というもの。
実際には「跨っているだけ」などということはないはずです。相当な経験や技術があってこその芸当でしょう。武豊はもちろんがんばっていた。けれど走ったのは馬。そのとき、「ボクが走らなくても生徒たちが走れば、ボクは名先生なのだ」と気づいたのです。
逆にいうと、自分が馬のように走ってしまってはいけないのです。これは親も同じことです。自分が走るほうがラクだと感じるかもしれませんが、親の仕事はどうしたら子どもが思いきり気持ちよく走れるかを考えること。そして、その環境を整えることなのです。
教師も親も、「名ジョッキー」を目指しましょう。

沼田晶弘 (著) Masaki (イラスト) 『子どものやる気を引き出す「ほめる」よりすごい方法39』(高橋書店)
最近の子育ては「ほめて伸ばす」のが当たり前。子どもの自己肯定感を損ねないように、傷つけないように失敗させないように、すごいね上手だねを連呼する。
でも、本当にこれでいいのかな……。
そんな悩める保護者のみなさんに、MC型教師ぬまっちの痛快育児メソッドをお届けします。じつはよく言われている「自己肯定感」には勘違いが多くあったのです。
●「ほめられ方」を伸ばす
●ゴールやペナルティを勝手に変えない
●「だけ」の使い方をマスターする
●子どもは他人だと思え
子どものやる気を引き出す39のメソッドを、マンガと図解で徹底解説!






























