もし娘も医師になりたいと言ったら? 医師芸人・しゅんP先生が3歳の子に願うたった一つのこと
医師であり、お笑い芸人としても活躍するしゅんP先生(しゅんしゅんクリニックP)。前編では、30代で医学部へ進んだ父と、40代で看護学校へ挑戦した母のもとで育った子ども時代について伺いました。
挑戦し続ける両親の背中を見て育ったしゅんP先生は、医師免許を取得した後、芸人という全く異なる世界へ飛び込みます。その転身の経緯と、自身が父親となった今の子育て観を伺いました。(取材・文/吉澤恵理)
大学時代に出会ったお笑いの世界
高校時代からお笑いが好きだったしゅんP先生が、本格的にお笑いの世界に魅了されたのは大学2〜3年生の頃だったといいます。きっかけは、当時付き合っていた彼女と、お笑い好きの医学生の同級生の存在でした。
「当時付き合っていた彼女がお笑い好きだったんです。それまではテレビに出ている芸人さんしか知らなかったんですが、彼女やお笑い好きの同級生から若手芸人の話を聞いて、『こんな世界があるんだ』と衝撃を受けました」
テレビの中で活躍する芸人だけでなく、劇場やオーディションでしのぎを削る若手芸人たちの存在を知ったことで、お笑いへの見方が大きく変わったといいます。
「若手芸人さんたちが劇場で戦っていたり、必死に挑戦していたりする姿が、めちゃくちゃかっこよく見えたんです。スピードワゴンさんも、その頃に知った芸人さんの一組でした」
「M-1の予選を見に行ったり、当時は今ほど情報もなく、NSCについてネットで調べたりしていました。厳しそうだけど楽しそうだなと思っていましたね」
なかでも強い衝撃を受けたのが、2003年のM-1グランプリで優勝したフットボールアワーでした。
「フットボールアワーさんを見て、『芸人になってあんな漫才がしたい』と思いました。若手芸人が本気で夢を追いかけている姿を見て、あんな風にみんなを笑わせることができたらいいなと本気で憧れました」
しかし当時は医学部生でした。
「大学生の頃からNSCに行きたい気持ちはずっとありました。でも、まずは医師になることが先でした」
医師になっても消えなかった夢
医師免許を取得し、研修医として働き始めたしゅんP先生。周囲から見れば順風満帆なキャリアでしたが、心のどこかには芸人への憧れが残り続けていました。
「研修医の頃は毎日、『やっぱり芸人になりたいな』と思うんです。でも研修は投げ出すわけにはいかないので、『いつか芸人になる』という夢を持ちながらやり遂げました」
研修医を終えると迷いなく、吉本興業の養成所・NSCの門を叩きました。
「芸人になるなら、NSCに入ると決めていました。同期がいて、一緒に学ぶ環境に憧れていました」
そんなしゅんP先生の選択に、ご両親は反対しませんでした。
「医師免許も取っていましたし、反対よりもむしろ『頑張れよ』という背中を押してくれる感じでしたね」
「それをなぜ使わないの?」転機となった一言
ところが、NSCに入ってすぐ、大きな壁にぶつかります。ネタが全くウケなかったのです。さらに当時は、自分が医師であることをあえて隠していたといいます。
「医療ネタをやるのは、なんとなくダサいと思っていたんです。せっかく芸人をやるなら、医者とは関係ないところで勝負したいという気持ちがありました」
しかし、その考えを大きく変える出来事が訪れます。ある日のネタ見せで自己紹介をする機会がありました。
「当時すでに27歳だったので、『今まで何してたの?』と聞かれたんです。それで初めて『医学部を出て、医者をやっています』と話しました」
すると、講師から思いがけない言葉が返ってきました。
「『それを、なんで使わないの?』って言われたんです」
しゅんP先生にとって、その一言は目から鱗でした。
「それまで医者であることを隠そうとしていたのに、『むしろ強みになるんだ』と気づいたんです」
試しにネタへ医療ネタを取り入れてみると、反応は一変します。
「お客さんの笑い方も変わりましたし、芸人仲間からも『それ面白いじゃん』と言われるようになりました。やっと自分の立ち位置が見えた気がしましたね」
そして今や、しゅんP先生の代名詞となった「シュッ!」も、実は偶然から生まれたものでした。
「デビューしてから7年くらいはコンビを組んでいたんですが、相方がネタ中に僕を紹介するとき、なぜか手を上にかざすポーズをするようになったんです(笑)」
最初はただ立っているだけだったそうですが、ある時ふと「これ、何か言った方がいいんじゃない?」という話になりました。すると同期の芸人が、何気なくこう言ったそうです。
「『シュッ!って言えばいいじゃん』って(笑)」
「本当にそれだけなんです。でもやってみたら意外とハマった。今思えば、あれが芸人としての武器になりましたね」
医師であることを隠していた若手芸人が、自分にしかない個性を受け入れた瞬間でした。
芸人になっても変わらない両親の応援
芸人として芽が出るまでには長い時間がかかりました。それでも、ご両親は変わらず応援し続けてくれました。特に父親は熱心だったそうです。
「単独ライブには毎回来てくれていました」
吉本坂46の企画で自身のジャケット写真のCDが販売された際には、大量に購入して病院関係者に配ってくれたといいます。
「50枚とか100枚とか買ってくれたんじゃないかなと思います」
決して多くを語るタイプではない父親ですが、その行動からは息子への深い愛情が伝わってきます。普段は自由に見守りながら、本当に大切な場面ではきちんと向き合う。そんなご両親の姿勢は、芸人になった後も変わることはありませんでした。
父親になった今、娘に思うこと
現在、しゅんP先生には3歳の娘さんがいます。子どもが生まれてから、仕事への向き合い方にも変化があったといいます。
「プリンセスが大好きで、めちゃくちゃ活発です。誰にでも話しかけるタイプですね。今のところ完全に陽キャです(笑)」
「娘が喜んでくれることを考えるようになりました」
そんな父親になった今、新たな夢もできました。それが、アンパンマンの声優です。
「娘が生まれてから、アンパンマンを見る機会がすごく増えたんです。仲良くしてもらっている先輩のEXIT・りんたろー。さんが映画『アンパンマン』の声優を務めて、アンパンマンミュージアムのステージにも立つと聞いて、『それはうらやましい!』って思わず言っちゃいました(笑)」
「アンパンマンの映画に出演できたら最高ですね。娘も喜んでくれると思います」
娘さんの成長とともに、教育について考える機会も増えてきたそうです。
「周りに医師家庭が多いので、『受験はどうするの?』と聞かれることもあるんです。僕自身がずっと公立だったので、正直まだ答えは出ていないんです。女の子だからどんな環境が合うのかなとは考えますが、一番大事なのは本人が楽しく過ごせることだと思っています」
将来、娘さんが「お医者さんになりたい」と言ったらどうするのでしょうか。そう尋ねると、しゅんP先生は少し笑いながら答えてくれました。
「何になってもいいと思っています。でも、僕と同じ医者になりたいと言われたら、やっぱりうれしいですね」
「僕自身、両親が好きなことをやらせてくれたから、自分で道を選ぶことができました。だから娘にも、やりたいと思ったことには挑戦させてあげたいですし、自分が夢中になれるものを見つけてほしいと思っています」
医師として、芸人として、そして父親として歩んできたその姿そのものが、娘さんへの最高のメッセージになっているのかもしれません。































