「大学生のうちにルワンダに行く」 戦争をなくすと決心した高校生が選んだ進路
高校生のとき、「戦争を終わらせる仕事をする」と決めた瀬谷ルミ子さん。英語を学び、大学で国際問題を学びながら、「大学生のうちにルワンダに行く」という目標を掲げました。
そして20歳の夏、1994年の虐殺から3年後のルワンダへ。そこで目にしたのは、教科書やテレビでは知ることのできなかった戦争の現実でした。
ひとりの少女が抱いた夢が、どのような人生の目標へと変わったのか。瀬谷ルミ子さんの原点をたどります。
※本稿は、瀬谷ルミ子 (著)『ノンフィクション 戦争は終わらない? 武装解除・紛争予防の現場から』(Gakken)より一部抜粋、編集したものです。
目的の地、ルワンダに行く
「戦争を終わらせる仕事をする!」と目指すものは決まりました。でも、紛争地で働くには、世界の共通語である英語が話せなければ始まりません。
ちょうどよいことに、英語は好きでした。きっかけは小学生のとき。中学生の姉が持ち帰った英語の教科書をこっそり見たことです。(英語が分かるようになったら、すごいだろうな。友だちよりも、先に得意なことにできるかも)
「みんながまだやっていないことをやる」。取りえが何もなかった私が、小さいころに考えた作戦でした。最初は、自分に自信がなかったから思いついた方法でした。
でも気づいたら、だれも歩いていない道を自分で切り開いていくことが、自分にいちばん合ったやり方になっていました。英語は、その最初の一歩でした。
インターネットもまだなかった当時、マンガ雑誌の広告で見つけた英語のリスニング教材をお年玉で買いました。毎日ひたすら聴き続けました。
高校では、どんな質問も調べて答えてくれる英語の先生にみとめてもらえるのがうれしくて、英語がますます好きになりました。
読んだり書いたりする英語は上達しました。でも、話す英語はまた別の話です。近くに英語を話す人もいないし、うまく話せるか自信がなくて、外国人に話しかけるのはどうしても勇気がいりました。みなさんも、そう感じることはありませんか?
そこで考えたのが、ちょっと変わった方法でした。だれもいないときに頭の中に想像の話し相手をつくって、一人で英語で話しかけたり、つぶやいたりしていました。
「これを伝えるにはどう言えばいいだろう」と調べるうちに、単語や表現だけでなく、英語での話し方も少しずつ身についていきました。
好きなことって、だれかに「やりなさい」と言われなくても、自然と続けられますよね?
私も、続けていくうちに、気がついたら、英語に自信が持てるようになっていました。でも英語だけでは、紛争地で役に立てる専門家にはなれません。戦争と平和について、もっとしっかり学ぶ必要がありました。
「日本に、そういうことを学べる大学はあるのかな?」調べてみると――ありませんでした。
ここであきらめる人もいるかもしれません。でも私は、逆に、体中に力がみなぎってくる気がしました。
「これだ。これこそ、私が求めていたことだ」
世界のあちこちで戦争が起きています。助けを必要としている人たちがたくさんいる。なのに、日本に助け方を教えられる人がいない。ということは――「戦争を終わらせる担い手がいない」ということではないか。(取りえのない私でも、役に立てるかもしれない)
ジグソーパズルにぽっかり空いていたすきまに、ピースがカチッとはまった気がしました。私の進む道は、やっぱりここだ。そう確信しました。
国際的な問題を自由に学べそうな東京の大学に、奨学金をもらいながら進学しました。一人暮らしではじめて作った料理がとてつもなくまずくて、あらためて家族のありがたみを感じたのを覚えています。
目標はひとつ。「大学生のうちにルワンダに行く」。そう、新聞の母子の写真で見た国です。大学では部活もサークル活動もせず、アルバイトでお金をためました。
でも待って。そもそも――「ルワンダってどうやって行ったらいいの?」
まず、つながりをつくるところから始めました。日本でアフリカの大使館や支援団体などが開いているイベントにどんどん参加し、ルワンダに関わりがある人をさがしました。
動いてみると、世界は意外とせまいものです。そうして出会った人が、現地でホームステイさせてくれるルワンダ人の家庭を紹介してくれたのです。
ルワンダでは、1994年に起きた内戦で、たった100日間のうちに100万人もが命を落としました。外国の植民地支配がまねいた、多数派フツ族と少数派ツチ族との間での対立が続く中、フツ族の大統領が乗った飛行機が撃ついされたことで、ツチ族への虐殺が起こったのです。争いをのがれて200万人以上が周辺の国に難民としてのがれていました。
ルワンダに向かったのは、その虐殺から3年後の1997年の夏。私は20歳になっていました。日本を出発して、インドとケニアで飛行機を乗りつぎ、ルワンダへ向かいました。乗りつぐたびに、ルワンダに近づいていく。胸のどきどきが、どんどん大きくなっていきました。
飛行機の窓からはじめて、自分の目でルワンダを見下ろしました。(あれがルワンダだ)
真っ青な空の下、緑の木々がしげり、赤土の大地が広がっています。あの写真の中にあった場所が、何度もいろんな本で調べたルワンダが、今、窓の外に広がっている。
飛行機の階段を下りました。一段、また一段。心臓がどくんどくんと打っています。そして、最初の一歩――スニーカーがルワンダの地面にタンッと軽くふれました。
(この一歩を、絶対に忘れない)この瞬間をちゃんと体にきざみたくて、ぐっと足に力をこめました。
ホームステイ先のルワンダ人の家族は、温かくむかえてくれました。日本から持ちこんだ折り紙やビーズでいっしょに遊んだり、かまどで作ったルワンダ料理を囲んで食べたり。楽しい時間でした。
虐殺が起きた現場にも足を運びました。そこには、亡くなったときのまま、白骨化した死体が残されていました。胸が痛くなりました。でも同時に思いました。
(本やテレビでは絶対にわからなかった。自分の目で見て、空気を感じて、はじめてわかることがある。来てよかった)
ところが、しばらくして気づきました。自分が「役立たず」だということに。
(ルワンダの人たちのつらい話を聞いてあげたら、戦争で傷ついた心を少しでも軽くしてあげられるかな)
最初は少し、そう思っていました。でも、何人か私に心を開いてくれた人たちの話は、想像をはるかにこえていました。
「親戚50人のうち、48人が殺された。今でも目の前で殺された家族のすがたが忘れられないんだ」
私は、「そっか……大変だね……」と間のぬけた返事しかできませんでした。
(私は、「知りたい」という気持ちだけで人々の心の中にずかずかと入りこんで、「役に立った」と思いたいだけだったんじゃないか。「紛争地の人たちの役に立ちたい」と本気で思うなら、問題を解決する技術や経験が必要なんだ)
気がついた瞬間、気持ちがかたまりました。
「自分の身ひとつで現場に放りこまれたとき、どんな立場でも変化を生める人間になりたい」
20歳のルワンダで感じたこの思いが、私の人生の目標になりました。そして、もうひとつ、この旅で心に決めたことがありました。
「やらない言いわけをしない」
一見むずかしく見えることでも、まずどうやって解決するか、そのために何ができるかを考える。やらない言いわけを考え始めると、問題がどんどんむずかしく見えてくるだけです。
そうではなく、できることをひとつずつさがしていく。ねばり強く努力をして、病気から回復して歩けるようになった弟のすがたが、私に教えてくれたことでもありました。
紛争地で働くようになってからも、ずっとこの心がけを大切にしています。

瀬谷ルミ子(著)『ノンフィクション 戦争は終わらない? 武装解除・紛争予防の現場から』(Gakken)
中東・アフリカで四半世紀にわたって活動を続ける瀬谷ルミ子さんの半生と活動を紹介する、児童向け読み物。現地の政治家や兵士、傷ついた地元民たちにどのように向き合い、平和を構築していったのか。武装解除、難民の退避支援、そして紛争の予防をどのように実現していくのかがわかる一冊です。
「いのる平和」から「つくる平和」に向かって、戦争を具体的に考え始めるためのノンフィクション。