父は30代で医学部へ、母は40代で看護学校へ…挑戦する親に育てられた医師芸人・しゅんP先生の原点
「勉強しなさい」と言われた記憶がほとんどない。その代わりに見ていたのは、30代で医学部に入学した父の背中と、40代で看護学校へ進学した母の背中でした。医師であり、お笑い芸人としても活躍するしゅんP先生(しゅんしゅんクリニックP)は、両親の「生き方」そのものが最大の教育だったと振り返ります。言葉より行動で伝える子育ての形が、子どもの自己決定力をどう育てるのか。しゅんP先生の子ども時代から探ります。(取材・文/吉澤恵理)
幼い頃は、父が医学部生だったことを知らなかった
しゅんP先生の父は、もともと社会人として働いていましたが、一念発起して医学部受験を決意。しゅんP先生が1歳のときに群馬大学医学部へ入学しました。しかし、しゅんP先生は当時のことをほとんど覚えていないといいます。
「当時、僕は1歳とかなので、実際の記憶はほとんどなくて。父が医学生だったことは、成長してから母に聞いて知りました」
父親の入学当初は栃木県足利市に住んでいましたが、群馬大学へ通うため家族で群馬へ移り住みました。
「父が医学生の頃は、家族で小さなアパートに住んでいました。父は医学部に通いながらも、塾講師や家庭教師のアルバイトをして家計を支えていたと聞きました。そのため、帰宅も遅く、自宅で勉強する姿はまったく記憶にないんです」
幼い頃のしゅんP先生にとって父は「医学生」ではなく、ごく普通のお父さんだったと当時を振り返ります。
「押し入れをゴールにしてサッカーをしたり、国名を覚えるゲームをしたり。そういう記憶の方が強いですね」
父のすごさを実感したのは、自身が医学部に進学してからでした。
「自分が医学部に入ってみて初めて思いました。30歳を過ぎて家庭を持ちながら医学部に入るなんて、自分には絶対できないだろうなと感じました。まして、家庭を持ちながらやってのけた父は、本当にすごいことだったんだなと。改めてバイタリティのある人だと思いました」
患者さんに慕われる父の姿を見て、医師に憧れた
しゅんP先生が中学生の頃、父は精神科医として病院に勤務していました。医師という仕事に憧れを抱くきっかけになったのは、父親に誘われて参加した病院のクリスマス会だったそうです。
「父がギター、僕がベースを担当して、先生たちがドラムやボーカルをやるんです。病院のクリスマス会でバンド演奏をしました。家では普通の父親という感じでしたが、病院で見る父は”医師の顔”をしていました」
患者さんたちが次々と父親に声をかける姿も、強く印象に残っているといいます。
「それまでは、『父が医師だから、自分もなんとなく医師になるのかな』という程度の気持ちでした。でもクリスマス会に参加したとき、患者さんから慕われている姿を目の当たりにしたんです。その様子を見て、『医者って人を元気にできる、すごくいい仕事なんだな』と思いました。あのとき改めて、医師という仕事に憧れを持つようになったんです」
母は40代で看護学校へ進学
子ども時代の思い出は母とのものが多いと話します。父が忙しく働いていたこともあり、自然と母と過ごす時間が長くなりました。
「どちらかというと母親との思い出の方が多いですね。小学生の頃は学童保育に通っていましたし、母も働いていたので、ずっと家にいるという感じではなかったですね」
そして成長とともに思春期も迎えます。
「中学生や高校生になると、一緒に出かけるのはちょっと恥ずかしかったですね(笑)」
親と距離を取りたくなる時期はあったものの、関係が悪くなることはありませんでした。
「母は、距離をとる僕に文句を言うこともなく、見守ってくれた感じですね。だから、全然しゃべらなくなるとか、反抗して口をきかなくなるとか、そういうことはなかったです。友達親子というほどではないですが、仲は良かったですね」
家族旅行の思い出も数多く残っています。
「群馬の地元の温泉にも家族でよく行きましたし、大学生になってからはサイパンやグアムにも行きました。旅行にいくと、恥ずかしいという思いも忘れて、自然と会話が増えました」
教育方針は意外なほど自由でした。
「いい意味で放任だったと思います。勉強しろと言われたこともほとんどありませんでしたし、中学受験もしませんでした。群馬県の公立進学校へ進学しました」
そして、その自由な家庭を支えていた母自身もまた、挑戦を続ける人でした。専業主婦を経てパート勤務を始め、その後40代半ばで看護学校へ進学。新たな資格取得に挑戦したのです。
「今思うと、母もすごいですよね。40代で看護学校に入るって簡単なことじゃないと思います」
30代で医学部へ進学した父。40代で看護学校へ進学した母。振り返れば、両親ともに年齢に関係なく新しいことへ挑戦する姿を見せ続けていました。
「振り返ってみると、学ぶことや挑戦することを当たり前のように続ける両親の背中は、何より大きな教育だったのかもしれないと感じます」
自由な家庭だからこそ伝わった、父の本気の叱り
自由な家庭で育ったしゅんP先生ですが、人生で一度だけ、父親から本気で叱られたことがあったといいます。それは高校生の頃のことでした。
「当時は『勉強なんて、その気になればいつでもできる』という根拠のない自信があったんです。それに、『頑張らないほうが格好いい』『努力しているところを見せるのはカッコ悪い』みたいな、思春期特有の変な意地もありました。高校2年生の終わりに生物のテストがあったんですが、あえて勉強せずに受けたんです。問題も適当に答えてしまいました。その結果、通知表で『1』を取ってしまって。下手をすると進級にも影響するような成績でした」
普段は勉強のことも進路のこともほとんど口出しをしない父親。しかし、このときだけは違いました。
「父が本気で怒ったんです。あそこまで怒られたのは後にも先にも、その一度だけでした。かなりの剣幕だったので、何を言われたのかは正直ほとんど覚えていません。でも、自分も泣いたことだけははっきり覚えています」
「その出来事があったおかげで、もう一度ちゃんと勉強に向き合えるようになりました」
ところが後になって、その裏話を知ることになります。
「実は母が父に『さすがに今回は怒ってあげて』と言ったらしいんです」
普段は子どもの自主性を尊重し、見守ることを大切にしていた父。そして、その父を陰で支えながら、子どもの様子をしっかり見つめていた母。自由に見える家庭でしたが、本当に大切な場面では、両親がきちんと連携して子どもと向き合っていたのです。
母が父の背中を押し、父があえて厳しい役割を引き受ける――。その絶妙なバランスこそが、しゅんP先生の成長を支えた大きな力だったのかもしれません。
そんな出来事を乗り越え、高校3年生になると受験勉強に本腰を入れました。そして現役で群馬大学医学部、早稲田大学理工学部にも合格、最終的に医学の道を選びました。
後編では、医師になってから芸人の道へ進んだ経緯、そして父親となった今の子育て観について伺います。