ゲームがつまらなかったらディレクターのせい? 人気ゲームを完成へ導く責任者の仕事とは
子どもがゲームに夢中になっていると、「遊ぶばかりで大丈夫?」と心配になることもあるでしょう。でも、その「好き」が将来の仕事につながる可能性もあります。
ゲームディレクターは、開発チームをまとめ、ゲームづくりの方向性を決める仕事です。「サクラ大戦」シリーズや「無双」シリーズなどにも携わってきた蛭田健司(ひるた・けんじ)さんに、仕事の魅力ややりがいを聞きました。
※本稿は、エンタメおしごと研究会編集『芸能・アニメ・ゲーム・音楽・マンガ エンタメおしごと図鑑』(サンクチュアリ出版)より一部抜粋、編集したものです。
どんなしごと?どうやってなるの?
ゲーム開発の責任者として、プランナーやプログラマー、デザイナーたちをまとめ上げ、スケジュールや予算などを管理しながらゲームを完成へと導きます。
みんなが夢中になるようなおもしろいゲームにするために、開発の方向性を決めるのがいちばん大事なしごと。おもしろくなければ「これはやめよう」と決断したり、プロデューサーに対して「もっとチームの人数を増やしてほしい」と交渉したりします。
プランナーやプログラマーとして経験を積むのが最初のステップ。チームで信頼され、少しずつ「まとめ役」を任されるようになるとディレクターへの道が開けます。
うれしいこと、つらいことは?
ゲームが無事にリリースされ、ユーザーから喜んでもらえたときは何よりもうれしいです。インターネット上でユーザーからの評価にふれるなど、手応えを実感する機会はたくさんあります。
また、手がけた作品がシリーズ化され、ファンから長く愛されるようになると「がんばってつくってよかった」と喜びもひとしお。
一方、開発に使えるお金や期間には限りがあり、その中で「よりおもしろいもの」をつくるにはさまざまなかべを乗りこえる必要が。
「より安く」仕上げたいプロデューサーとの交渉をはじめ、ゲームの″質”の責任者として、多方面とのねばり強い交渉が求められます。
また、チームメンバーの評価や、メンバーが働きすぎないよう気にかけることなど、″開発そのもの″以外のしごとも多いです。
ゲームがつまらなかったらディレクターのせい?
おもしろいゲームができればみんなで喜びますが、つまらなかった場合、「あの判断がまちがっていたのではないか」と、開発の方向性を決めた責任者であるディレクターのせいにされがち。
やりがいが大きい反面、プレッシャーも多いしごとです。
欠かせないしごと道具
なんと言ってもパソコンです。ゲーム開発にかかわる人にとっては欠かせないアイテムですよね。いつもほぼ最新のものを使い、最先端の開発ができるようにしています。
もっと知りたい!
Q:なり方は?
A:プランナーからステップアップするのが王道。プログラマーをはじめとした技術職から目指すこともできるよ。
Q:休日は?
A:基本は週休2日。休みの日に開発メンバーから連絡があることも。
Q:教育制度はある?
A:何よりも経験と人望がものをいうしごと。先輩のまねをしながら、ディレクターとしての判断のしかたを少しずつ覚えていくよ。
Q:何年目でひとりだち?
A:開発者として経験を積み、開発責任者としてプロジェクトをまとめられるようになるまで10年くらいかかることが多いよ。
Q:男女比は?
A:男性が多めだけど、女性ディレクターも増えてきている。
Q:何さいまで働ける?
A:50代、60代で活躍している人もいる。若手ディレクターを育てるのも、ベテランの大切なしごとだよ。
ディレクター 蛭田健司さんインタビュー:ゲームで人を楽しませることで、恩返しを
プログラマーやディレクターとして「サクラ大戦シリーズ」「無双シリーズ」など数々のヒット作にかかわり、海外で日本のゲームを広める役目をになったこともある蛭田健司さん。
今も第一線でゲーム開発にたずさわる一方、ゲーム業界の発展へ向けたさまざまな活動を行っています。長年、どんな思いでみんなに愛されるゲームをつくり続けてきたのか、その歩みをふり返ってもらいました。
リーダーシップを発揮し「ファミコンクラブ」を結成
―どんな子どもでしたか?
蛭田:ディレクターはリーダーシップが求められるしごとですが、子どものころからリーダーシップはあったと思います。学級委員をやったり、自ら「ファミコンクラブ」を結成して会員証をつくって渡したり。
中学生になるとゲームを自作するほうにも夢中になりました。そのころからの友達には、「蛭田くんがつくったゲームを最初にプレイしたのは自分だ」と、今でもじょうだん混じりに言われます(笑)。
― 「ゲームをしごとにしたい」と、そのころから考えていたのですか?
蛭田:実は、小さいころはぜんそくがあって、外で自由に遊べませんでした。でも、ゲームの中ならいくらでも飛んだりはねたりできるし、空だって飛べる。そうやって自分がゲームに救われたように、いつしか「人を楽しませたい」と思うようになりました。
病気のことで家族やお医者さんたちには苦労をかけたので、「世の中に幸せをとどけることで、恩返しがしたい」とも。
― 進路は「ゲームをつくる」という夢をふまえて選んだのですか?
蛭田:もともと算数や数学が得意だったので、大学は数学科へ。でも、期待していたようなコンピューターの勉強はできず、独学で学んでいました。
そのとき、あるコンピューター将棋の本に出合い、あなが開くほど読みこんで。その本を書いた先生がいる大学院へ進み、その後は大手のゲーム会社に入りました。
― プログラマーからのスタートだったそうですね。
蛭田:ディレクターになるには、プランナーからだけでなく、プログラマーからなる道もあります。自分にはプログラムの知識がありましたし、アイデア勝負で人気職のプランナーよりも向いていると考え、プログラマーからの道を選びました。
自分が手がけたゲームで人生が変わった人も
― その後はヒット作に次々とかかわり、ディレクターへとステップアップされたのですよね。
蛭田:どの作品にかかわれるかは運次第という面もあるのですが、「無双シリーズ」など、大ヒット作品に参加することが多かったのは幸いでした。
しごとをするうえで心がけていたのは、上司のしごとを〝取る〟こと。上の人のしごとまでできるようになれば、「この人になら任せることができる」という評価になり、ポジションが上がっていきますから。
―いちばんうれしかったことは?
蛭田:自分がかかわったゲームがきっかけで出会い、結婚したカップルが何組もいて。そのことを知ったときは、うれしいのと同時に、「ゲームは人の人生を変えるんだ」と責任の重さも感じましたね。
― ヒット作にめぐまれた一方で、失敗もあったのでしょうか?
蛭田:もちろん、売れなかった作品もたくさんあります。ユーザーがはらったお金や、費やしてくれた時間に見合うだけの楽しさを感じてもらえなかったと思うと、「自分の感覚は世の中に合っていないのだろうか?」と、次の一手がこわくなります。
―そんなときは、どうやって乗りこえるのですか?
蛭田:マンガやアニメ、映画など、ゲーム以外のコンテンツに大量にふれることで、感性をアップデートします。つくり手の意図を気にしすぎて、作品をじゅんすいに楽しみ切れない部分もあるのですが……一種の職業病ですね。
― ゲームに夢中だった子どものころから進学、就職、夢だったディレクターへのステップアップ、そして今のおしごとと、密接につながっていますね。
蛭田:好きなことをつきつめたいなら、まず勉強はしんどくてもしっかりやったほうがいいでしょう。
でも、そこから先の趣味、つまり学校では習わない部分になったら、努力してはだめ。ついと続きませんから。ゲームの世界はものすごいスピードで技術がアップデートされていきますが、私は好きだからそれを追うのも苦ではないし、むしろ楽しい。楽しくないことはやらないほうがいいと思います。

エンタメおしごと研究会(編集)『芸能・アニメ・ゲーム・音楽・マンガ エンタメおしごと図鑑』(サンクチュアリ出版)
芸能・アニメ・ゲーム・音楽・マンガなど、エンタメの世界の仕事だけに絞った小学生向け職業図鑑です。
表舞台に立つ人だけでなく、マネージャーやヘアメイク、ゲームクリエイターなど、エンタメ界を支える149の職種を紹介しています。
各職業のインタビューで「どんな子が向いているか」も掲載。「なりたい」憧れと「向いているかも」の両方の視点から仕事を見つけられる一冊。