「お前は社会不適合者だ」と怒鳴られた声優が2児のママに 発達障害に苦しんだ過去と、親になって今思うこと

中村郁
2026.04.10 13:00 2026.04.16 11:50

思春期のイメージ

声優として活躍する中村郁さんは、自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如・多動症(ADHD)を併発する発達障害の当事者であり、2人の女の子の母でもあります。

しかし、かつては結婚や子育てに対して後ろ向きだった過去が。「お前は社会不適合者だ!」と怒鳴られた経験もあり、「一生一人で生きていこう」と考えていたといいます。

そんな中村さんは、どのようにして親となり、子育てと向き合うようになったのでしょうか。本記事では、中村さんの著書より、発達障害に苦しんだ過去と、親になって今思うこと、そして子育ての中で得た気づきについてご紹介します。

※本稿は中村郁(著)『発達障害・グレーゾーンかもしれない親の子育て』(かんき出版)から一部抜粋・編集したものです。

※発達障害の特性や子育てのあり方には個人差があります。本記事の内容がすべての方に当てはまるものではありませんが、ひとつのヒントとしてご覧ください。

発達障害で苦労した日々

頭を抱える女の子

私が発達障害であると診断されたのは2017年のことです。長女を出産したあとに発覚しました。

そもそも私は子どもの頃から、生きづらさを抱えていました。

人の多い場所に行くと、激しい頭痛に襲われてしまう。

癇癪持ちで一度スイッチが入ると自分を抑えることができず、暴れてしまう。

ひとつのことに夢中になると、話しかけられても何も聞こえなくなってしまう。

忘れ物をせずに学校に行けたことがなく、一日中何かを探し回っている……。

私が子どもだった頃は、まだ、「発達障害」というものが一般に認知されていなかったため、私は「少し変わった子ども」として、周りの人たちから奇異な目で見られていたと思います。

私を育ててくれた祖母は、そんな私を心配し、脳の病院に連れて行ってくれたこともありました。しかし原因はわからず、私はそのまま何も手を施すことなく成長しました。

「もしかしたら私はおかしいのではないか?」

真剣にそう思いはじめたのは大学生の頃。

当時アルバイトをはじめたのですが、ことごとくクビになってしまったのです。飲食店をはじめ、さまざまなものに挑戦しましたが、何をやってもうまくできません。

その原因は、いわゆるマルチタスク(シンプルタスクの素早い切り替え)ができなかったことです。多方向から指示されると、何から手をつけたらいいのかわからなくなり、まったく動けなくなってしまいました。

さらに、時間管理が驚くほど苦手で、遅刻ばかり。そのうえ、物忘れやうっかりの回数が半端なく、ミスをして周りに迷惑をかけてしまうこともしばしば。

あるバイト先の店長からは、こう怒鳴られたこともあります。

「お前は社会不適合者だ!」

仕事だけではありません。

私は人と会話をすることが苦手で、極度の人見知りでした。コミュニケーションが苦手だったので、人間関係においてもたくさんのトラブルを起こしました。

また、公共料金の支払い忘れも多く、一人暮らしをしていたときには、電気やガスを止められて、真っ暗な部屋でろうそくを灯して朝まで過ごしたことも……。家賃を払い忘れて、強制退去の紙を家のドアに貼られたこともありました。

まさに、社会人失格です。

しかし、そんな自分自身を否定する日々は、ある日、終わりを告げました。

「あなたは発達障害です」と診断されたのです。

発達障害の診断を受けたとき、私は心底、ホッとしました。

なぜ、ホッとしたのか?

それは、長年「自分はとんでもないダメ人間だ」と思い込み、悩んできたことが、実は「脳の機能の問題だった」とわかったからです。

自分は別に「ダメ人間」じゃなかったんだ。そう思えたことは、私にとって大きな救いとなる事実でした。

発達障害の特性を客観的に理解していく中で、私はこう考えるようになりました。

できないことを克服しようと頑張るより、工夫をしていくことのほうが大切!

なにしろ脳の問題なのですから、できないことは、どんなに頑張ってもできません。

ならば、環境を整えたり、工夫を重ねたりすることで、無理に克服しようと頑張らなくても、自動的にできるようにすればいい。気をつけても落とし穴に落ちるなら、落とし穴自体を埋めて、なくしちゃえばいい!

そんな発想で、暮らしていくうちに、いろいろな工夫をするようになりました。

「社会人失格」から結婚・出産へ

出産を控える妊娠中の妊婦のイメージ

20代の頃、発達特性の影響により「ぐちゃぐちゃな生活」をしていた私は、子育てどころか、結婚願望もありませんでした。

そんな私が大学卒業後に就いたのは、ナレーター・声優という「声」のお仕事。数々アルバイトをクビになった私でしたが、この仕事は発達障害の特性と非常に相性が良く、クビになることなく、能力を発揮することができました。

発達障害を持つ人は、「好きなこと」や「興味があること」に取り組むと、普通の人の何倍もの集中力を発揮できることがあり、そこがうまくハマったのです。

私は仕事に没頭し、「結婚はせず、一生、1人で生きていこう」と考えていました。

ここでまた、告白します。

私が結婚や子育てに対して後ろ向きだったのには、私が発達障害であることのほかに、実はもうひとつ大きな理由がありました。

それは、私が0歳で両親から育児放棄されているという生い立ちです。

私には、育児放棄をした両親の血が流れている。

そんな私に子育てなんて、できるはずがない。

もし親になったら、私も育児放棄してしまうかもしれない。

幸せな家庭を望む資格なんて、私にはない……。

そんなふうに思って生きてきました。

そんな私の思い込みを変えてくれた存在が、私の祖母です。

育児放棄をした両親に代わり、私は祖父母に育てられました。

祖父は私が10歳のときに他界しましたが、祖母は94歳でこの世を去るその日まで、愛情を持って私を見守ってくれました。

私が結婚について真剣に考えたきっかけは、「祖母の余命が短い」と知ったことでした。

当時、交際していた彼(今の夫)を愛してはいたものの、結婚する勇気を持てなかったのですが、祖母がもう長くないと知り、「花嫁姿を見せて安心させてあげたい」という想いが日に日に強くなっていったのです。

そして私は結婚。

祖母は結婚式にも参列することができ、涙を流して喜んでくれました。

その姿を見たとき、「結婚して良かった」と心から思いました。

そして、入籍後わずか3カ月で、私のお腹の中に新しい命が宿ったのです。

結婚しても子どもを強く望むことはなかった私のもとへ、突然やってきた小さな命。

でも、私は不思議と戸惑うことはありませんでした。

産婦人科でスクリーンにちかちかと映る小さな命の鼓動を見た瞬間、ずっと蓋をし続けていた心の傷ついた部分が温かくなっていくのを感じ、涙がとめどなく流れました。

この命を、私は必ず守り抜く!

そう決意した日のことを、今でも忘れることができません。

私は無事に長女を出産。

祖母は孫を抱いて、「こんな可愛い赤ちゃんは見たことがない」と、とても喜んでくれました。娘の誕生を誰よりも楽しみにしてくれていたのは、祖母だったのかもしれません。

そんな祖母は、娘が生まれたわずか1週間後に、命のバトンを渡すようにして、天国へ旅立ちました。

祖母が亡くなったあと、私は初めての新生児の世話に追われ、愛する祖母を失った悲しみに暮れる暇もありませんでした。きっと祖母は、天国でにっこり笑いながら、子育てに奮闘する私の姿を見守ってくれていると思います。

子育てをする資格なんてない。

自分の心に、勝手にそんな蓋をしていた私でしたが、産婦人科で命の輝きを見たあの日からずっと、幸せな気持ちで毎日を送っています。

「完璧な親」ではなく「ニコニコしている親」になる

砂遊びする親子

子どもが生まれてからというもの、見える世界の色が変わりました。

子どもが見ている世界を一緒に覗くことは、とても楽しくて、大人になってしまった私の目では見つけることのできない新たな発見がたくさんあります。

子どもと過ごしていると、小さな日常の幸せが、どんどん増えていくのです。

もちろん、たいへんなこともたくさんあります。

発達障害を公表している私に対して、SNSに、「子育てなんて無理なのに無責任だ」と胸がつぶれるような心無い書き込みをいただいたこともありました。

娘が2歳の頃のイヤイヤ期は地獄でしたし、娘が大きな病気で入院したときは、心配で胸が張り裂けそうになりました。

でも……。

たいへんなことの何倍も何倍も、大きな感動や喜びが子育てにはありました。

初めてハイハイした日。

初めて歩いた日。

初めてトイレでおしっこができた日。

音楽会。

運動会。

習い事の発表会。

卒園式。

入学式。

人生とは、こんなにも明るく彩り豊かだったのかと、子どもを産んでから、日々感動の連続です。

子育ては長い道のりです。これからも、たくさんの感動と出会うはず。そう思うと、胸がワクワクします。

ずっと子どもたちを見守り続けたい、と思います。

昔は、「自分なんていつ死んでもいい」とすら思っていた私が、「健康で長生きしたい!」と思うようになりました。

そんな私が、今、子育てに悩んでいるあなたに、声を大にしてお伝えしたいこと。

それは、「子育ては、いとをかし!」ということです。

終わりがなくて、どこまでも長く、奥が深いこの道を、愛しい子どもたちに伴走できる。そんな「お母さんの仕事」は、神様から与えてもらった最高のギフトです。

私を「お母さん」にしてくれた子どもたちには、感謝してもしきれません。

子どもの存在は、間違いなく、母である自分自身を成長させてくれます。

そんな日々の中で、発達障害の私は、いろいろな工夫をすることで子育てができています。

私たちは、完璧である必要はありません。

1人で悩む必要も、育児書に縛られる必要もありません。

おっちょこちょいでも、お片付けが苦手でもいい。

ときには休んだっていい。

「いつもニコニコしている親」がいれば、子どもは健やかに育ちます。

子どもにとって、あなたは、代わりが利かない唯一無二の存在なんです。

中村郁

ナレーター、声優(株式会社キャラ所属)。発達障害当事者会「ぐちゃぐちゃ頭の活かし方」主催。注意欠如・多動症(ADHD)、自閉スペクトラム症(ASD)併存の診断を受けた発達障害当事者で二児の母。子どもの誕生をきっかけに人生観が大きく変わり、発達障害の特性と向き合いながら仕事と家事育児に奮闘。著書に『発達障害・グレーゾーンかもしれない人の仕事術』(かんき出版)など。

発達障害・グレーゾーンかもしれない親の子育て
中村郁(著)『発達障害・グレーゾーンかもしれない親の子育て』(かんき出版)

「子育てがしんどいのは、私の努力が足りないから?」
「どうして、他のお母さん・お父さんと同じようにできないんだろう……」

そんなふうに、自分を責め続けてきた発達障害のあるお母さん・お父さんへ。

本書は、自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如・多動症(ADHD)を併発する発達障害当事者のママが書いた、「発達障害・グレーゾーンの親」が、無理せず、楽しく子育てをするための一冊です。

忘れ物、時間管理、マルチタスク、感情のコントロール――著者は「できないこと」が多く、社会の中で何度もつまずいてきました。だからこそ、子どもが生まれる前は、

「子育てなんてしたくない」
「自分には向いていない」

そう思っていた一人でもあります。

それでも今、ふたりの子どもたちを不器用なりに、試行錯誤を重ねながら育て、子どもたちとまっすぐ向き合って生きています。

本書では、

・発達障害と診断されるまでの生きづらさ
・「社会不適合者」と言われた過去
・発達障害の特性を抱えたままの子育ての現実
・できないことを「根性」で克服しようとしない考え方
・環境調整と工夫で、子育てを回していく方法
・親自身の心を守るための視点

を、当事者の目線で正直に綴っています。

発達障害があると、子育ては「人一倍大変」に感じることがあります。音、予定変更、泣き声、マルチタスク、周囲の目――普通なら流せることが、心と脳をすり減らしていく。

でも、だからこそ伝えたいのです。

発達障害があっても、子育てはできます。完璧じゃなくても、子どもは育ちます。

お片付けが苦手でもいい。
うっかりしてもいい。
毎日ニコニコできなくてもいい。
疲れたら、休んでいい。

子どもにとって必要なのは、「完璧な親」ではなく、自分を大切にしながら生きている親です。

本書は、「発達障害の自分には無理だ」と思い込んでしまったあなたの心に、そっと寄り添う一冊です。