離婚、再婚、流産から42歳で初出産 無痛分娩の予定なのに「突然に迫られた選択」(42歳の新米ママ「子育て修行中」第1話)

千代田橋そあ
2026.08.12 10:39 2026.08.12 12:00

千代田橋そあ

私は2024年10月に42歳で第一子となる女の子を出産しました。高齢での出産を経ての0才児との生活は不安、戸惑い、そして喜びの連続です。

気がつけば、娘はぐんぐん成長し、私の”親としての経験”は慌ただしい日々の中に、どんどん飲み込まれていきます。だからこそ今、少しでも記憶が鮮明なうちに、これまでの体験を記録しておきたいと思います。(連載「42歳の新米ママ「子育て修行中」0歳児と親歴0年の成長記録」第1話)

離婚、再婚、稽留流産、化学流産を経て42歳での出産

出産が迫る妊婦さんのイメージ(写真はイメージです)

もともと子どもがほしいという願望が強かった私ですが、20代後半に最初の結婚をするもののすぐに離婚し、その後は仕事や飲み歩きにのめり込むうちにすっかり高齢出産と言われる年齢を過ぎていました。

いまの夫とは知り合って数年経っていましたが、彼に子育ての願望がなく、いよいよと重い腰をあげたのが39歳の頃。

当時は楽観視してすぐにできると思っていましたがまったく気配がないので、不妊治療の専門医に力を借りることに。

その後、2度の稽留流産、1度の化学流産を経て、いわゆる着床前検査(PGT-A)を実施し、ようやく娘を授かったのが41歳の頃でした。

「胎児が横を向いている」帝王切開の可能性が急浮上

「これだけ妊娠するのに苦労したんだから出産はきっと楽だろう」と根拠のない自信を胸に、「出産は体力勝負だから!」と臨月になるまでジムに通いウォーキングやエアロバイクとアクティブに過ごしていました。

しかし、34週頃の検診で胎児の頭が下になく、横に向いていると指摘がありました。

すでに臨月直前まで差し掛かっていたため、胎児を回転させる外回転術をするか、様子を見て治らなければ帝王切開になるといきなり選択を迫られることになったのです。

もともと無痛分娩で出産する予定だった私は帝王切開という選択肢が唐突に浮上して頭が真っ白に。

検診を受けたのが金曜日だったので、翌週月曜日に骨盤位外来を受けてから考えようということになりました。その日から週末にかけてなるべく赤ちゃんが下を向くように腰を上げるストレッチをしたり、「こっちを向いてー」と呼びかけたりして必死になって解消に努めました。(医療的根拠はまったくありません)

すると、あるときぐるん!と回転する動きをみせ、「あ、もどったかも」と思う瞬間があったのです。

月曜日に受診すると、想像通り、胎児の頭が骨盤の上にきていることが確認できました。

これであとは予定日を待つばかりとなりました。

夫も駆けつけ、いつ生まれてもいい状態なのに…

臨月に入り入院バッグに必要なものを詰め込み、その時を今か今かと待っていましたが、予定日を直前に控えた検診でもまったく子宮口はまったく開かず。

無痛分娩予定のため、陣痛がきたらすぐに病院に行くことにし、気配がまったくなければ予定日からおよそ1週間後に陣痛促進剤をつかった計画分娩にしようとなりました。

おしるしも陣痛もまったく気配がないまま迎えた入院日。その際の触診でも子宮口は1センチとまったく開いていませんでした。

夜はバルーンを入れ、翌日6時頃から促進剤を打つ、無痛分娩予定なので朝から絶食と言われ、翌日を待ちます。

バルーンを入れた違和感と生理痛のような締め付けられる痛み、また、「もしかしたらこれがきっかけで陣痛が起こるかもしれない」と言われた緊張感でその日の夜はなかなか眠れませんでした。

そして翌日、予定通り6時に促進剤を打つため、LDRにスタンバイ。夫も9時頃には来ていつ産まれてもいい状態に。しかし、一向に子宮口は開きません。

促進剤によりどんどん陣痛の痛みは増していきます。もう会話も難しい!となった頃に我慢できず、無痛分娩の麻酔を入れてもらい、すーっと痛みがひきました。しかし、それでも子宮口は3センチ。夕方になるにつれ、今日は難しいという気配が助産師さんから感じられるようになりました。

主治医からは「今日が難しかったら一度促進剤を止めて明日の朝からもう一度チャレンジしましょう」と言われ、一旦促進剤はストップ。病室に戻ろうかというとき、つーっと水が垂れる感覚があり、破水したことがわかりました。

破水していても一晩程度はそのままにしておいて大丈夫と言われたため、その晩はそのまま様子見。絶食だったため、夕飯にありつき、その日も全く寝られず翌日を迎えました。

二転三転の出産直後の「ママになった人の本音」

千代田橋そあ

翌日は促進剤がすぐに効き、9時前にはもう話すことも苦しいほどに。ちなみにこの日も絶食。

ちょうどその時、助産師さんが夜番から昼番に交代するタイミングだったこともあり、夫もまだ到着せず、LDRの中で孤独に痛みに悶えていました。思い返せば身体的な痛みはこのときがピークだったと思います。

深呼吸もできないほどだったのでとにかく早く麻酔を入れてくれと訴えまくり、ようやく10時前に麻酔が入り、我を取り戻しました。

しかし、子宮口はまだ3センチと言われて絶望したのを覚えています。麻酔がかかっていることをいいことに助産師さんは触診のたびにグリグリと広げてくれていたようですが、その甲斐もまったくなく…。昼過ぎには医師たちからも「下から産むのは難しい」という空気が漂ってきました。このとき再び、私たち夫婦に帝王切開がちらつきはじめたのです。

破水していることもあり、このまま待っても胎児が危険になるとも言われ、私ももうとっとと産んでしまいたいという気持ちも強く、「こうなれば帝王切開だ!」とマタニティハイ状態で勢いで帝王切開を承諾。助産師さんも「出産のフルコースですね!他の人にマウント取れますよ!」なんつって。

準備のために医療関係者が退室し、麻酔も効いている私は夫と「帝王切開は歴史のある施術だし安全だよねー」なんて談笑していると、突然、麻酔科の先生、看護師、助産師がわらわらと部屋に入ってきて慌ただしくなってきました。

「ここにサインを」「荷物をまとめて」「剃毛するからご主人退室して」「あと5分で出るから」とあれよあれよと言われるがままストレッチャーに乗せられ、「ご主人はここまでです」と、ついさっきまでの和気あいあいムードから一転してエレベーター前で突然のお別れ。

降りた先はいきなりテレビでよく見る手術台。緊張感もマックスです。麻酔科の先生も看護師さんも主治医も無駄のない動きでテキパキと作業をこなし、「お腹に感覚感じますか?」と皮膚を触られ、「おいおい、感覚あったらどうしてくれるんだよ!」と不安になる私をよそに、サクッと開腹。

麻酔が効いて朦朧とする中でとてつもない大声が鳴り響きました。軽く拭き取ったあとの娘を、カンガルーケアで胸のあたりにのせられ、「生まれましたよー」と看護師さんに言われて目もろくに開いていない娘を確認。

その時の感情はほぼ無。です。唯一思ったのは、「この泣き声とこれから一緒に生活するのか」でした。

千代田橋そあ

千代田橋そあ

東京都内のIT企業勤務。仕事に飲みにと楽しく過ごしていたら気がつけば30代も終盤に。不妊治療を経て第一子を出産。子育てに奮闘中。