「クソババア!」と叫んだ小3男子が31歳で告白する「母に反抗し続けた理由」(連載「思春期、延長17年目」第1回)
思春期の子の反抗に悩む親は多いもの。では、反抗する子ども本人は何を考えているのか。母への反抗期が30歳まで続いたという芸人・シドニー石井さんが、自身の体験をもとに”子ども側の本音”を綴る連載。第1回は、長すぎる反抗期の始まりの記憶です。
30歳を超えても終わらなかった母親への反抗
「あなたのことが心配よ…私は」
2025年10月。高速道路に入り車が加速する。そのスピードに比例して、不快な風切り音が車内に染み込む。本来かき消されたであろう母の呟きはその声量以上にハッキリと僕の耳に届いていた。
久々に家族全員が揃って親戚のお見舞いに向かう道中の出来事だった。
両親と3つ上の姉との4人家族。全員が揃うのはおよそ2年ぶり。実家を出ているとはいえ、お互い東京に住んでいる者同士ということを考慮したら、親との心の距離感をそのまま表すような期間が経っていた。
現状も家族仲は決して良好とは言えない。YouTubeでそういった旨のエピソードトークを再三披露しているから、この連載のお話もそういった経緯でいただけたお仕事だろう。
親が嫌いなわけじゃない。感謝こそはあれど恨みなんて毛頭ない。でも素直に喋るには歪んだ時間が僕らの間には流れ過ぎてしまった。31歳。長すぎる反抗期だと恥ずかしく思う。
終わらない思春期が30代まで続いた人
ここらで僕のことを知らない方が大半だと思うので、簡単に自己紹介をさせていただきます。吉本興業に入り、芸人として活動をして9年目になる男です。シドニー石井と名乗っています。延べ3つのコンビに渡って、漫才をしていた時期が大半ですが、4年前に始めたグループYouTube(僕らの別荘)でご飯を食べさせてもらえるようになりました。
あとは個人でもYouTubeを更新したり、念願だったラジオ番組をやらせてもらって、今は日々幸せに暮らしています。
今回、「思春期の親との関係性について」というテーマでnobico(のびこ)さんで連載を始めさせていただくことになりました。
親になった経験はまだ無いし、全く偉そうなことは申し上げられません。子どもの頃の記憶と多少は培った年齢分の経験と自論、そして先に親になった友人から聞いた話などを総動員して、少しでも読んでくださる皆さんのお力になれる事を祈ってキーボードを叩かせていただきます。これから末長くお付き合いいただければと思います。
教育熱心な母と週7の習い事、優秀な姉、遊びたい息子
そんな僕の最初の反抗期は僕の記憶では小学校3年生、10歳くらいの時だった。
「死ね!クソババア!!」
十分な悪意を含んで僕はベタにこの言葉を放った。
クソババアデビューは少し早いものの、勉強の強要に習い事や厳しい躾。今思えば発端はどれもよくある親子の些細な対立だ。少し特殊だったのは、自身の経験から特段教育熱心になった母との関係性かもしれない。ちなみに当時僕は週7で習い事をしていたし、のちに姉は東京大学に現役合格をする事になる。
東大生を生み出せるずいぶん効果的なカリキュラムを基に、僕にも教育ママ全開で向き合ってくれた。しかし公立小学校で同級生と遊びたい気持ちと裏腹、半ば強制的に埋まる自身のスケジュールに強い違和感を覚え出した。平たく言えば「遊びたい子ども VS 学ばせたい親」まぁなんとも微笑ましいありふれた光景だが、当時の僕にとってはどれも重大な問題だった。親の価値観へ反発し自我を強く訴えた結果が、排泄物に年配の女性の呼称を付けたカタカナ5文字をぶつけることだった。
息子の将来を心配する母 vs. 家に帰らなくなった長男
小学生の高学年に差し掛かり、力で母に押し勝つことも増えた。唯一の突破口とその勢いを増したかったが、そうすると決まってラスボス父親の登場にひれ伏した。
そんなこんなありながら明治大学附属の中学校へ進学した。年齢と共にますます親への不満を募らせていた石井少年は、徐々に同級生と遊んで遅くに帰宅することが増えた。我が子が非行に走る懸念からだろう。15歳の時、初めて門限というルールが石井家に導入された。これは大変。当時の僕からしたら死活問題。
「人権の侵害だ。時間という有限な資源を奪うなんて!! 俺はあなたの所有物じゃない!!!」と習いたての知識を叫び門限を破れるだけ破った。
そんな息子の攻撃を受けて、親チームは早速シンプルにして最強のカード「門限を過ぎたら家にいれない」を発動し対策を講じる。
本来は窮地に追い込まれるはずだろう。
しかし、ここで「親は子どもが心配でやっている」という背景まで理解していた小賢しい僕には効かない。航平(本名)のターン、「帰らない」という荒技で強行突破。
時には開いている可能性にかけてゆっくりと玄関扉を引く「二択のギャンブル」の高揚感を覚えていた。大人になってトランプを絞る時全く同じ感覚になった。
本当は母親の気持ちはわかっているのに
こうして舌論で意見をぶつけ合い、口を開けば互いの人格まで否定する日々。最後の大きな口喧嘩は、高校卒業後に芸人になると僕が打ち明けた時だ。
母親の気持ちは分かっているものの、夢を諦める理由にはならなかった。
当然猛反発する母を押しのけて、勝手に一人暮らしを始めて対立は決定的になった。
精神的にも体力的にも消耗する日々。「違う人間だから分かり合えないね」と諦念にも似た言葉を最後に会話も徐々に少なくなっていった。
どちらかがどちらかを無視する日もあったと思う。そんな日々から早十数年。やはり素直に喋るには歪んだ時間が僕らの間には流れ過ぎてしまった。
「太り過ぎ。何その汚い体」
2年ぶりに会う母は挨拶もよそに案の定の悪口を捲し立てる。相変わらずの彼女だが、僕の想定より一回り小さく頼りなく感じた姿に胸が痛んだ。
「あなたのことが心配よ…私は」
母の呟きに車窓を眺めて無言で返す僕。この連載を長すぎる反抗期の終焉にしよう。
愛された記憶も貰った言葉も覚えている。
手遅れにならないうちに。彼女の漏らしたその本音は声量以上にハッキリと僕の心に届いている。































