英語と日本語の使い分けは? バイリンガル家庭に生まれた子の“言葉の覚え方”【ゆる英語子育て④】

アメリカ人の夫、4人の子どもたちと共に、日本で暮らすライターの大井ミサコさん
日本語と英語が飛び交う大井さんの家庭では、1歳半の末っ子が「語彙爆発」のまっただ中だそうです。
ちなみに、バイリンガル教育では「二か国語を混ぜて使わないほうがいい」と言われています。しかし、大井さんが4人の子育ての末にたどり着いたのは、あえて“英語と日本語を区別しない”という方法でした。
家庭での試行錯誤から見えてきた、言葉の学び方を紹介します。
子どもはどうやって言葉を覚えるの?

現在1歳半の末っ子は、語彙爆発の真っ最中である。ちょっと前にオギャーと生まれてきたふにゃふにゃの生き物が、今や喉が渇けばオミ(お水)、腹が減ればアム(食べ物)と言葉で要求する。意思も伝達能力もある一個人だ。子どもの能力には、心から驚かされる。
末っ子の関心は、もっぱら動物にある。動物の姿を見るたびに指さしながら名前をつぶやいて、どんどん動物名を獲得していく。ただ、つい1カ月前まで末っ子の語彙には3種類しか動物名が存在しなかった。「わんわん、みゃあみゃ、ちょちょ」の3種類である。「イヌとネコと蝶か」と思われるかもしれないが、違う。末っ子はこの世のあらゆる動物を、「イヌ的動物、ネコ的動物、蝶的動物」の3つにカテゴライズしていたのだ。
はじめは「みゃあみゃ」だった。お隣さんが飼っているネコを見て、あっという間にその語を習得した。母語の獲得には、「刺激と強化」が大事だと行動主義心理学ではいわれている。すなわちネコという視覚刺激を受け、大人が「ネコちゃんね」と強化することで、子どもは「ネコ」という言葉を覚えられるという考え方だ。私もこれに倣い、お隣さんのネコを見た際すぐさま「ネコちゃん、にゃあにゃあって可愛いね」と語りかけた。末っ子はそれまでにも絵本や動画でネコの姿を目にし、「ネコ」や「にゃあにゃあ」、あるいは英語で「cat」「meow」という言葉を耳にしていたはずだ。でも、どんな刺激も本物のネコちゃんには敵わなかったようで、お隣さんのネコを見た日を境に末っ子の語彙に「みゃあみゃ」が誕生した。
それからしばらくはすべての動物を「みゃあみゃ」と呼んでいたが、やがて「わんわん」の語が加わった。それもきっかけは、お隣さんである。反対のお隣さんはイヌを飼っており、そのワンちゃんを見て末っ子が「みゃあみゃ」と言うので、「あれはわんわんだよ」と強化したのだ。それ以来、末っ子は動物を「みゃあみゃ」と「わんわん」に分けるようになった。あらゆる動物を2種類に分けるには、「みゃあみゃ」と「わんわん」は近すぎるような気がする。どっちも哺乳類だし、4本足だし、そもそも祖先は同じなんじゃなかったっけ? でも、そんな大人の理屈は子どもには通用しない。末っ子は2種類の言葉を獲得して、これは便利なものだと思ったらしい。それからは、動物の絵本を読みたがることが増えた。「2種類のどちらかに分類する」という作業がとても楽しかったようだ。
そばで観察していると、必ずしもネコを「みゃあみゃ」、イヌを「わんわん」と区別しているわけではないことにも気づいた。イヌ科の動物であるキツネは「みゃあみゃ」だし、スヌーピーやプルートも「みゃあみゃ」である。どうやら、自分が可愛いと思う動物を「みゃあみゃ」と呼んでいるらしい。言葉をそんな主観的に使っていいなんて! 子どもの発想は、素晴らしく自由だ。
ヘレン・ケラー的言葉の発見

可愛い動物=みゃあみゃ≒ネコ。その言葉付け自体は大変尊いもので、可能なら我が家の文化遺産としてずっと保存しておきたい。けれど、言葉は社会的な道具でもある。個人的なルールを押し通していたら、社会に出て他者とコミュニケーションを取るときに困難をきたす。そこで私は、末っ子がネコ以外の動物を「みゃあみゃ」と言ったら、「それはみゃあみゃじゃなくてコンコン、きつねさんだよ」などと否定的な強化を増やすことにした。苦渋の決断である。
でもこの否定的な強化を増やしたおかげで、第3の言葉が生まれた。それが「ちょちょ」だ。空を飛びそうな動物すべてを「ちょちょ」と呼ぶようになったのである。1歳過ぎの子でも、さすがに虫や鳥などを「みゃあみゃ」「わんわん」と同じカテゴリーに入れるのは無理があるだろうと薄々感じていたのだろう。公園をひらひら飛ぶ蝶を指さして「ちょうちょだね」と強化したら、それは便利だと思ったのか、すぐにその語を取り入れるようになった。翼がある動物は「ちょちょ」なので、プテラノドンの絵を見せたときも少し迷いながら「ちょちょ」と言っていた。
3種類の言葉を獲得する過程で、末っ子は「物事は複数に分類することができ、それぞれに別の名称がある」という事実に気づいたようである。ヘレン・ケラーが水に触れて「water!」と言ったのと同じ気づきだ。それからは、絵本の動物を指さして「みゃあみゃ」「わんわん」「ちょちょ」のどれかに当てはまりそうならその語を言い、どれにも当てはまりそうにない、たとえば魚などを見たら(これは何ていうの?)とばかりに、親の顔を見上げるようになった。そこで私が「おさかなだね」とか「It’s fish」というと、その語を真似て、記憶するという作業が増えた。繰り返しになるが、子どもの能力には本当に驚かされる。
英語と日本語を混ぜて使う我が家

ところで読者の皆さんは引っかかっているかもしれないが、我が家では今、子どもに日本語も英語もはっきり区別せず話しかけている。バイリンガル教育において、言語間の区別をしないのはあまりよろしくない方法だ。でも我が家には子どもが4人おり、上3人を育てるなかで試行錯誤してきた結果、区別なしの方法を取ろうと考えるに至った。
現在9歳の長子には、OPOLを徹底していた。OPOLとは「One Parent One Language」の略で、「父親は英語・母親は日本語」のように一人の親が一種類の言語のみで子どもに語り掛けるやり方である。バイリンガル教育において最も定番の方法といえる。私もOPOLでなければバイリンガルには育たないと気負って、手元に英語の絵本しかなくても即興で日本語に訳しながら読み聞かせていた。
でも子どもが大きくなり、家庭の外へ出る機会が増えるにつれ、 OPOLは適用しにくくなっていった。たとえば私の夫はアメリカ人なので、夫の家族や親戚と話すときの言語は英語である。でもみんなが英語で話す中、母の自分と子どもだけは日本語だけでやり取りするようになる。周りは私たちの会話内容がわからない。それってどうなの? と違和感を抱くようになったのだ。
バイリンガル教育を熱心に行なっている知人には、「周囲の目は気にしない」と言い切る人も多いが、私はそれを徹底することができなかった。そこで2番目と3番目の子には、家での言語をすべて英語にしようと試みた。「親」ではなく「場」で言語を区別する方法である。日本に住んでいて家庭外での言語がすべて日本語である分、家で英語のインプットをしないとバランスが取れないとも考えての選択だった。
ただ、これもあまりうまくいかなかった。まず、家庭内と家庭外では語彙が違うから、園や学校で使う単語や文法は英語が身につかない。それに日本語が第一言語の我が子たちにとって、英語を使う際はどうしても少し負荷がかかる。子どもにとって安らぎの場であるはずの家庭が、「苦手な英語を使わなければいけない場所」になってしまったのだ。負荷がかかるのは母親の私も同様だった。常に英語で話さなければいけないことで、ただでさえ怒りっぽい母なのにますますストレスが増してしまった。「母は日本語のみ」とか「家では英語のみ」と理屈っぽく区別することが不自然でストレスになるのではなかろうかと考えた末、日本語も英語も自然に両方使おうという結論に達したのである。
今のところ4番目の子は、それで問題なく言葉を使っている。ネコを「にゃあにゃあ」と「meow」とで混同することなく、中間っぽい音の「みゃあみゃ」で記憶しているし、魚は「おさかな」と「fish」で強化した結果、発音しやすいほうの「fish」を採用するようになった(発音がうまくできなくて、『ぴす』と言っているが)。二言語を区別せずに使っても、言葉の認知にはそこまで影響しないようである。もちろん、今後動詞やら因果関係やら、もっと複雑な概念を覚えるようになったらやり方を工夫しなければいけないかもしれない。その経過については、随時ご報告できればと考えている。






























